今日2019年3月10日日曜日 
朝一番にカーテンを開き空を見上げたら天気予報通り雨が降っている、
今日一日、何かを 「 しよう ・したい」と思っていなかったが-ほんの少しがっかり。

先週水曜日 とある機器の搬入据付を依頼され、準備段取りを終え見積りを提出したら仮置き倉庫から現地への輸送が高いとのクレームがついた、 確かに首都圏での保税倉庫が高いので九州へと一時保管後の再輸送だから低く抑えたいと思う事は理解はできるが釈然としない、搬入据付け先の特殊事情による特殊な車輛が必要なのに分かってもらえない、それではと思いその輸送を断ったが回りまわって受けざろうえなかった、でも一旦押さえた特殊車輛はもう予定済みとの事で他を探すしかない、 結局 現地近くで積み替えるしか打開策は見つからず無事施設内に運びこんだが、思いもしなかった問題が待ち受けていた事に作業当事者は知る由もない、作業が進み さあー室内へいれますかというところで問題が露見する、 
対策をこうじるのに 一時間 二時間程過ぎやっと据付完了致しました。 

予測というより分かっていた事が誰も分かっていなかったという大きなミス招いた結果でした。

今日一日 雨が降って欲しいが!
どうなんだろう。

 

昨年三月より何を思ったのか走り始め、今年二月で走った総距離が1200Kmを超えました。
体力には自信があったが、さあー走ると、ほんの10メートル走ったかと思うと息切れで体が動かなくなり走るというより喘ぎながら歩いているというありさま、あげくのはては足だけでけでなく腰まで痛くなり、あーあー走ろうと思わなければ良かった、ましてや走り始めなければと後悔する日々が1か月は続く、
だが次第に体重が1キロ・2キロ・3キロと軽くなっていくと共に右足左足がスームーズに出せるようになり、今は何と13キロ程軽くなり、丸々と出ていたウエイトも凹み何と84サイズまでになり、1月は5キロランを2本まで走り、やっとランニングと言えるようになりました。

昨年の筑後川マラソン 5キロ一般男子部門37/139人中・60歳以上4/34人中
今年は更なる上位を目標目指して走り込んでいます。

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石鎚神社石鎚本教田川教会祈願護摩に参列する。

さあ新しい一年が始まりました、昨年出来なかった事を今年こそ実行しようかと思うが何が出来て何が出来なかったのか思いだせない、この歳だからもしかしたら早期痴呆症になったのか不安になる、いやいやそうではないようだ、そういえば此の二三年全く手帳と云うものを使っていない、以前は何時何処で誰かと打合せをする、 あの人から仕事を依頼されたが何時までに準備をして報告しようとか、何時に何処で会うとか書いていた手帳がPCのメモ帳に変わっている、キーボートを叩くこと文字を書くことはもしかしたら人の記憶にいや脳の働きに大きな違い有るのではないだろうか、そう云えば、人の記憶にとどまるのは、聞いたことの20%、見たことの30%、自分で言葉にするか書きとめるか行動にすると70%、聞いた内容を教えるか行動にすると90%になると誰かか述べていた。そう云えば古い手帳をめくってみると楽しい・苦い思い出が次からつぎに浮かんでくる、そしてページの初めには今年は何を目標にどんな仕事をしたいか書いていたのがPCメモ帳を使い出しいろんな出来事やいつ何処で誰と逢っていたのか思い出せ無くなつていたような気がしてきた。 

よーし今年は手帳を使おう、手帳に自分の思いや人とのやり取りを思いっきり書いて痴呆予防と云えば大げさに聞こえるがこの歳だから仕方がない、手帳を活用する事を今年の目標にしよう。

忘年会

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IMG_0589.jpg12月22日 福岡市中央区今泉にて株式会社 I B U K I の長崎営業所 福岡本社との合同忘年会を行った、

良い酒を飲んで楽しいひと時を皆で過ごし、今年も未だ九日残っていますので大晦日まで気を緩めないよう毎日を大切にして下さい。 

 乾杯!  乾杯 !。

ビールが旨い、酒が旨い、

もちろん 料理もおいしいが

みんなの笑顔が一番うれしい。

 

嬉しくて楽しい事は一瞬で過ぎてしまい

つらくて悲しい事は永く続く

でも逃げたらいかん 逃げたらいかん

   逃げたら負けたままになる

 

私は未だ未だやりたい事が沢山ある、もしかしたらやりたい事を半分もやっていないかもしれない、今日の酒は一つの節目として思いっきり呑み これからの話を思いっきりしょう、

 明日が来るから楽しい 明日が有るから話をしたい

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恩師が教鞭にたった最初の決して優等生とは言えない普通の学生ともいえない、ちょと変わった学生の二人だったので浮かんでくるのは、私と中川幹彦だけで後は覚えていないとのこと、その言葉に嬉しくなり西尾に駆け付けた。

 45年前の笑顔に迎えられ中川君の懐かしい思い出話が次から次に出てくるが、あの当時の講義の話は全く出てこない、矢上のアパートに押しかけ酒を飲んだ事と誰それがどうだったとか、よく覚えているなぁと感心すると同時に私の頭の中にもその状況がつい昨日のように浮かんでくる、楽しい思い出は誰しもは変わりはしない、だから自然に中川を誘ったのかと実感しながら聞きいてっていた、あの時講義で使った本は今でも本棚に並んでいる。

長崎造船大学と名古屋名城大学との赴任中での一番大きな出来事は私と中川を教えたことと思いきやそうではなかった、そらあそうだろう!、それは国立でなく私立大学の教授がノーベル賞を受賞した驚きの出来事、その式に参列された時の恩師の話を聞き終える頃にはもう帰る時間が迫っていた。

中根俊晴ゼミ 一回生 中川幹彦 伊吹博 恩師の自宅を訪問する。

IMG_0007_NEW_01.jpg懐かしい恩師に逢いに行く。

何時もより二時間前に床についたが眠れなかった、ましてや何時もより二時間前に目が覚めた。

 

みんな !盛り上がっているかーぃ 

さーあ撮るぞ、イチ 二ィ サン

 

どの顔をみても みんな若いなぁ。

 

    よーし 決めた この写真を持って 懐かしい恩師に逢いに行こう。

想い出

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赤レンガのアーチ型の門を飛び出し駆けずり廻っている、

薄汚れた服で蒸気機関車に父母姉兄妹私とが乗っていて、途中のホームで母が必死に泣きながら男の人と女の人の手を必死に握っている、

玄関で女の人から父母姉兄妹私とがどなられている、

楽しい思い出は沢山あるのに出てこない

どうして何だろう  なぜなんだろう。

楽しかったことや嬉しかった事を思い出したいんだけど思い出せない。

どうして何だろう  なぜなんだろう。

周りの情景は浮かんでくるが、

すぐ消えてしまう。

 

どうして何だろう なぜなんだろう。

ゆっくりと浮かんでくれればいいのに

すぐ消えてしまう。

 

声を掛けようとするが声が出ない。

 とりとめのない話をしたいんだけど声が出てこない。

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あれは二十代の後半だった、今はファーストフードのトップメーカーになった、日本の端長崎から福岡へそして大都会の東京進出しローカルフーズの「長崎ちゃんぽん」をメージャーなフーズへと夢を語っていた会社で働いていた、

そうか「夢を形にする」それは面白い、入社試験でのこの会社で何をしたいか一枚の用紙に書いた内容は今でも「はっきりと覚えている」。

あの時、私の名刺の肩書は工程開発と印刷されていたが、どの上司もいったいぜんたい何をするのかするべきか知っても分かってもいる人はいなかった。

貴方の夢いや会社が福岡へ進出するため何か起爆材となれるような機械を作って欲しいと当時の副社長か゜夜通し熱く語りかけてくれた

それが何なのかは私に分からんが「伊吹くんに、それを創って欲しいんだ」

それがやがて自動餃子焼き機械となった。

あの当時 構想を誰に話しても、そんなもの誰がつかうのか、鍋に火をいれその後適当な温度になったら餃子を並べればいいんだ、あとは裏がきつね色かわると皿に盛りつけ、はい出来上がり、お前が思うよう焼き器なんて要らないよと云う仲間が殆んどだったが思いが形となった。 東京晴海レストランショーで自動餃子焼き器は大変な人だかりとなった、そりゃーそうだろう、今まで無かった焼き器だから。   ずいぶん経った後、副社長から「やっぱり伊吹君は東京へ行くべきだよ、東京へ」とレールを敷かれたが、 それがやがて何かに変わってきた。

 幼い時に母から自分の想いを形にするために我が家から離縁され日本の財閥となった人がいる博もそこまで成らなくていいが、自分の思いを見つけ形にして欲しい、できたらそんな大人に成ってくれれば。お父さんも夢を抱いて満州へ出ていったが戦争と抑留、後は赤思想と世間から見られたが、今でも頑張っている。 その言葉を思い出し退職をした。

会社のレールに乗っかっかって仕事をしたく無くなった男のすることは、己でレールを敷き己で機関車を走らせることしか道はのこってなかった。

その結果 失ったものも沢山あったが得たものも沢山あった。

今度は自分の為に長崎から福岡へ進出したが東京までは未だ進出できてはない。

 

伊万里大里の神社に行くと 凛として見つめている伊吹(藤山)雷太像から     

      「伊吹 博君 来るのが遅い」と叱られているようだ。

      

   ついこの前 藤山雷太の子孫と連絡が取れるようになりましたが

   まだ雷太の実子( 伊吹震 )である伊吹の姓を継いでいる子孫とは未だ連絡はとれてはいない。

早いなあ

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早いなあ もう師走になってしまった、

師走は何かと忙しいから すぐに正月がくる、 正月が来たら  あぁ また ひとつ歳をとる、

  母は私が二十歳のとき宣告を受け、  あと二年か三年です・・・・・。

毎日が つらかった 悲しかった。   

どうしてか 師走になると日めくりカレンダーめくりたくなかった、

 その日が来てしまった。

 人生50年は早すぎるょ

 何んにも母親孝行も出来ずじまい。

 あの時は 3年半程の務めをやめ 家で受験勉強していたから母とよく 話をしていた、すこーし風邪をひいた ようだからひろしのベットで横になっ ていいねぇとよわよわしい言葉、  私は母のやさしい寝顔を みつめていた、

その夜に母は 家族の目の前で吐血をしてしまった ・ ・。

 

 師走になるとすぐ母の命日がくる。 

 早いなぁ人生50年、あの後、独り家にいると涙がいつも溢れていた、

 さびしくて 町へ出ると、母と同じ位の人を見れば今度は悲しくて仕方が無かった。

 

 早いなあ 母親より10年以上も長く生きれたから ちょつぴり孝行できたなのかなぁ、

 命日には墓参り行こう、  まだまだ 博は あとひと頑張りしますと報告しよう。    

いいなあ

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金色の葉を

  一心不乱に
       
          集めている

   かわいい手で  
          
                       集めている。
 
      

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電話の向こうに懐かしい人がいる


取りとめのない言葉しか出てこない。




そういえば、
 電話器のうえに十円硬貨を積み上げて話していたんだ。

あの電話ボックスは街角にはもう今は無いが、
 
いまでもあそこを通ると思い出す、
 
あぁ 寂しさがこみ上げてくる




電話の向こうに懐かしい人がいる。


IMG_0540.jpg我がチームのボーリングクラブリーダーが 
ななんと132人中10位に入り大野城市プレミアム商品券を獲得しました。

よぅー さすが 渡邊リーダー
ボーリング大会
我がチームは昨年に続き大野城商工会交流会ボーリング大会に参加しました、
今回も1位を目指して頑張りましたがボールがピンをギリギリ避けて通るのが多く21ピン差で3位を逃しましたが 昨年は二桁の結果でしたので少しは練習の成果があったようです、おいしい卵の参加賞を手にして三位までの賞品を悔しさを抱いて眺めている俺達がいた。


さあー 来年は二チーム参加で ワン・ツウー と息巻いて焼き肉屋の暖簾をくぐりつた時は笑顔いっぱい。

FullSizeRender1.jpg青い空  白い雲  青い海

可哀そうだったよ、

 ほんと可哀そうだったよ

  小さい飛行機が飛んでくるが

   どんどん討たれてさ

 海はアメリカでいっぱいさ

   

兵隊さんもアメリカさんも、

   怖くて茂みに隠れて視ていた。

 

 どこまでも続く青い海、 青い空に浮かぶ白い雲  

   兵隊さんが 怖い・・・ 兵隊さんが 怖い。 

 これって アメリカの兵隊さんではないのですよ、

   これって 日本の兵隊さんなんですよ、

 

 1972年夏 青い海 を見ながら どのビーチでも出れたが 今は殆んどと云って出れない、

  大きくて白いホテルが 「 関係者・宿泊者以外は立ち入り禁止 」 とトオセンボをしている、

 

72年の間に 伝えようとしない事が当たり前の世の中になってしまっている、・・・・・

 

都合の悪い事は風化させるのが天の声いや公の声か、

 

何処かの誰かが言っていた 「 記憶にございません・く記録は残っていません 」

 

    伝えければいけない事は沢山あるのに、

      

        残さなければいけない事も沢山あるのに。

  

   可哀そうさ 可哀そうさ  どんどん落とされて。

    

       兵隊さんも アメリカさんも 怖かったさ 。

IMG_0388.JPG国際通りから公設市場を通り抜け

あ あった、 これだよ! 

 これが  私の好きな那覇

   市場の匂いを思い切り感じる

     思いっきり ひとりじめしょう

 やっぱり いいなぁ

 ずっと向こうに白いチュウリップハットを被って、重いカメラを肩にかけ何かを探している若者が歩いている、

あれは 45年前の私だ ! !

やっぱり ここは いいなぁ        

IMG_0479.JPG福岡の大学で 株式会社 IBUKIの会社説明会を開催致しました。

 

僕は君達の先輩で入社して三年になり

九州一円と山口の医療施設に設置してある、レントゲン機器の点検保守を行っています。

だから 後輩 いや貴方達も 必ず僕のようになれる、

自信に満ちた声で先輩は話していた。

 頑張って いますよ先輩は、

 

IMG_0373.JPG透きとおつた海に若者がいる

 

若いっていいなぁ、

笑顔いっぱいで声を掛け合っている、

おもいっきり 楽しんで

おもいっきり 泡盛を飲んで

おもいっきり 暑い太陽をあびて

心も 体も  若いっていいなぁ

 

私はいっぱい元気をもらった。 

FullSizeRender.jpgあれは1972年 夏

  海の青 空の青 草原の緑

長い時間が過ぎても変わっていない万座毛が目の前にある

変わったのは自分だけか、

あの時は何を思って長い時間 座っていたのか全く覚えていない。

あんまり長くいたもんだから アンタ家へ泊まれよと声を掛けて頂いた人を訪ねてみれば 

 

 おじい おばあが笑顔いっぱいの写真で迎えてくれた  ここは 沖縄 恩納村 万座

 おじい あばあ に逢えて良かった。  2017年 暑い夏の日

 

 

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いつものように川筋の道を通る、法被姿の幼子がはしゃいでいるのが遠目に見えたので、おもわず橋を渡り街なかへハンドルを向けた   

リンゴ飴・いか焼き・露店に可愛い法被が集まっている、

この光景どうして何だろう みょうに懐かしさを感じる。

ここは 筑豊 糸田町 。 

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昨年(平成28年11月8日)健康経営アドバイザー(初級)認定をうけ、やっと念願の健康経営宣言書が出来あがった。

社員が身心ともに健康で働ける会社づくりをすると云う事、 1年365日働いていた私に取っては驚くことばかり、頑張って頑張って売上を上げた後、さあ!!今夜は思い切り飲んで食べて明日からまた頑張ろう、今夜は行くぞ・・・・馬車馬のように いやいや 馬車馬は古すぎる 企業戦士が右にも左にもいたあの日々日々は今思えば懐かしい思い出と思っているのは私だけなのか。   

今の世の流れはもっと速く複雑になっている。

「 人は城 、人は石垣 、人は堀 」 どれだけ城・石垣・堀を強固にしても人の心と身体が折れてしまえば何の意味もない、 人と云う無形資産をただ元気にするだけではなく、世の中の流れにのり、人としてより良く健康で生きる為の仕組みをここに宣言します。

 

 

 株式会社IBUKI 

   社員が身心ともに元気で働ける  会社を目指します。 

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とある金曜日 早めに仕事を終え外へ出かけようと云う呼びかけが始まった。

働く時間を減らし 外へ出かけて行こう、 いやいや、誰かの音頭で街へくり出しお金を使おう ・ ・ ・ 、

どれ位の人の手元にそのようなお金があるのだろうか、 夫婦共稼ぎで子供一人を育てるのがやっと、 働けど働けど食べるだけで精一杯、我が子に新しい洋服など買ってやれない食べるのも我慢している家族がいるというのに。   成長なき時代、誰もが弱者になった、ある弱者を救えば別の弱者が割りをくうという。 渦中の人は自分のために使うお金を確保しようと知恵を働かせ動いていたがあと少しというところで誰かが公にして炎上してしまった。 庶民には、いやいや弱者には知恵なんて悪知恵もありはしない、あるのは我慢だけ。

DSC_1525.JPG一月行く、二月逃げる、三月は去る、 昔の人はよく云っものだ、あっという間に三月が来た、 四月になれば三名の若人が大きな夢を抱いて我が社にやって来る、 それまでに何をどうすれば良いのか頭の中では分かるが、行動が伴わない、時間に追われない私と思っているのだが進めない。                                   

これではいけない、困ったもんだが進めない、 誰かが云っていた、迷ったら足元をいや自分を見ればいい、 考えるっていう事、 身体は止まっているが 頭の中では止まっていない、   そうだ それでいい、悩むと云うことはいい事なんだ、焦る事はない、 他人と違ったっていいじゃないか 、二人いれば二通りの道がある、 三人いれば三通りの道がある、 そうだそうだ それでいいんだ、

学校では同じ答えを 同じ行いをしなければ評価されなかった。  さあ これからは自分の道を自分で進もう。 

MRIMRI装置の解体搬出。

遠路はるばる金沢までやって来ました。本当は仕事をするんでなく街中をブラリブラリと散策したい気持ちを抑え仕事をしょうと意気込んでいるのだが今回は私の歳からしてどうなんだろう、まだまだ頑張って現役を続けた方が良いのか悩む、ある人に言わせれば依頼が来るまでやればいい、悩む事なんてないよ、仕事が来るうちが花よ・・でもねぇ この頃現場へ出ると脚立の登り降りや以前はちょっとした部品は軽々と持っていたのだが、今はそうは行かない腰まで上がればいいと思うが自分でも情けなくなる事が多くなってきた、

 

 

 

DSC_1335.JPG探していた人が私の目の前にいる。

彼の生まれた家の裏手の神社に 鋭い眼光で、 俺の前に来るのが遅かったぞと言われているようだ、祖母・父親・伯父から聴いていた人が、今私の目の前にいる。

時は明治大正昭和と活躍したこと、何も知ってはいない。

この町の人からお借りした一冊の本、藤山愛一郎しが書き上げたその本を読めば きっと声が聞こえてくるだろう。

力強い声が おい おい 博くんと・・・ 

その人の名は伊吹雷太。

 

 

日田往還

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石灯籠 昨年の春 筑紫野市天山へ住み始めました。

我家の百米程先に全国街道ベスト3に入るといわれた街道それは、日田天領へと集まる街道日田往還がある。そのきっかけとなったのは、文政八年(1825年)三月薩摩藩主嶋津斎與の参勤交代からです、古い家並みを通りすぎると今は畑が広がっている、先を眺めると菅原道真が都を追われ赴任してきた大宰府がある、その先をずーと行くと博多へと続く。

この石灯篭は何と天保十四年(1843年)八月秋月の商人たちが宣伝のため建てたと言われている、

 

 

DSCF0409.JPGいつも通る畦道が通れない、ザリガニの大きなやつが通せんぼをしている、  あーあー通れない、

ここもやっぱりか・・・・・・・

今の世の中、不条理が多すぎないか

誰か手を揚げないかなぁ

いゃいゃ何処かの知事さんよ、

よっしゃ 沖縄があんなに嫌うんだったら

海兵隊基地を俺が県へ誘致しょうと手を揚げてもいいんじゃない。

辺野古をたとえば対馬に替えるとか

対馬だったら北朝鮮にも中国にも近いし

韓国にも近いしねぇ  これってダメですか。

オスプレーが安全であれば東京でも良いんじゃない、 ついでに原発も誘致すれば良いんじゃない、そうすると送電線も少なくて済むし、これって合理的でない、

イャダ イャダという沖縄県を裁判所へヒッパリだしてさぁ、国威だからってさ、

裁判所もどうして総ての国民で平和を守る為に沖縄県だけでなく国内分散するべきと言わないのかなぁ。

 

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昭和28年12月25日 

沖縄は知っていたが奄美群島の喜界島も米国の統治下であったとは知らなかった。

敗戦国だから戦勝国の云われるまま分断され一方的に裁かれる、なんて理不尽な裁きか。

 「勝てば官軍 負けれは賊軍」 

戦に負ければ死者の墓も作らせないうことが戦国時代から明治維新まで常として行われていたと本に書かれていた、

  争いと云うものは理不尽な事で起こり理不尽な裁きでの終結しかないのか。

  平成28年8月  暑い夏の夜 頑張れ日本 頑張れ日本と日本中が沸いていた。 

金 ・ 銀 ・ 銅  幾つ取った メダルの獲得数は世界で何番目だと盛んに報道していた、

惜しくも初回戦で負けた選手に  「よく頑張った」 と言葉を掛けていただろうか、 

そう云えば私自信も目も触れていなかった、ましてや思いもしていなかった。  

頑張れ日本  頑張れ日本 ・ ・   勝て勝て日本 勝て勝て日本 ・ ・ ・

幾度か金メダルを取ったメダリスト には、 国民栄誉章ですか、 もしかしたらこの賞は 勲章でしょう?

凡人の私ににはとうてい勲章なんて縁が無い、 いや縁は無い。

やっぱり 私は知らない事が、いや理解できない事が多すぎる。 

 

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どうして?、 なぜ?、 

ちよっと考えれば分かりそうな事件が起きている。

もしかしたら これは社会現象、

だって テレビをつければ 馬鹿騒ぎの番組ばかり、ついにローカルステーションにも、どんなに考えてもオカシイと思うことを平気でやっている、 その周りをゲラゲラ笑っている姿が写っている。 そのような番組が若者に与える影響はあっと云う間に広がったのではと思いたくなるような事が続く。 

 

おじさんには理解できない事件が、分別の出来るおじさんも事件を起こす。

頑張れ  頑張れ 日本ではなく。    困った 困った 日本か。  

DSC_1166.JPG美味いものと云うより旨いものを提供する店が少なくなってしまった、 チョト腹の足しにとレストランに入れば、 「いらっしゃいませ御注文が決まりましたら、そこのボタンを押して注文してください、お冷はあちらに有りますので自由にお取り下さい」。  マニュアル通りの会釈と挨拶、皿に載ってくる料理は何処の店でも同じボリュウムと同じ味で確かに美味しいが、 考え方を変えれば何処ででも食べれる味、 期待を裏切らない味が皿に盛りつけられ出てくる。       周りを見渡せば黙々とと云うよりワイワイガヤガヤと食べている。 入口を見れば順番待ちのお客さんかずらっと並んでいる、美味しいから待つのは当たり前という顔が、早く食べろ食べろと追いたててるようだ。    

うならせる旨さを出す店は もうなくなってしまったのか、それとも私が味音痴に陥ってしまったのか。

 

 「 虫が食う葉は旨いと云う証と 誰かが、 いや虫が教えてくれてる 」

DSC_1073.JPG今年の夏もやっぱり暑いですねぇ、

昨年はお盆の14日に阿蘇で正面衝突の事故に遭い、残りの夏も秋になっても治療で何処へも行けなかった、

だから今年こそはと思ったが、こう暑くては何処へも行けない・・・行けないと云うより行かなくなったと言った方が正しいのか、 ? ?

あんまり暑いので庭に池をと思ったが、作る作業とその後の管理を考えて、中華料理店から頂いていたピータンが入っていたカメに水をいれ金魚を飼い始めた、  我が家は井戸水だから安いお茶もコーヒーも美味しく戴けれる、だからか四匹の金魚も元気に泳いでいる。