2011年11月アーカイブ

DSC_0057.JPG山間の病院へ行ってきました、、

一度は行ってみたいとおもっていた渓谷がすぐ近くにあるので寄ってみましたが、今年は十月になっても暑い日が続きましたので、黄色までは色づきましたが、その後の天候不順で赤色は駄目だったとの話、

九州のグランドキャニオンの秋色も色あせていました、・・残念。         

 

 

 

 移転する際に新しく購入されるとのお話で、置いて行かれるMRIに心があったなら 「複雑な気持ち」でしょう!   一生懸命稼働している姿に寂しさを感じました

 少ない知恵を絞って要望に充分応えられるような数字をはじいてみようと思いながら、 家路を急ぎました。           

立て看板.jpgのサムネール画像

 

そう云えば あの時あちらこちらに自衛隊配備反対の立てカンパをよく見かけた

ひと通りは少なく、 田舎道を歩いていて バスに乗ろうと手を挙げ いざ乗ろうとするとドアがない 車窓の中はみんな笑顔で笑っている  そう云えば 右側通行だった・・・・

本土では全く知られなかった キャンペインがある、 730キャンペイン     7月30日に車輛は左側通行に変わった

 

いつも新人 

 新人 62年生 ガンバレ

   まだまだ新人 ずっと新人。

 

 

 

すいがら

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国際通り.

灰皿スタンドの吸殻はうるま、バイオレット後は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう・・・あの通りに灰皿が有ったと云う事を覚えている人がどれだけいるのだろうか、  沢山の人が無意識に使っていたと事実は こぼれんばか吸殻が語っています。 

 

一昨日・昨日・そして今日、何にもしなくても明日は今日になり 昨日になってしまう、人の記憶に残ることをすること、   

昨日夕食に何を食べたかかも思い出せない時があるのに人の記憶に残るようなことは私にはとうてい出来はしない、ただひたすら額に汗して一生懸命に毎日の仕事を追っかけていくしか出来ない、

明日を夢見て、明日の仕事を頑張ろう、   少しの満足感を覚え、また明日をみる、

社会へ夢見る輝いた12の瞳を㈱IBUKIはどう導くのか、そんな問題ではない瞳が輝き続けられるよう体制をずっと続けることが私の責務であり㈱IBUKIの責務である、   

今日も 明日も挑戦 ずっとずっと挑戦  挑戦あるのみ 失敗をおそれず

  挑戦あるのみ  失敗は成功の秘訣である。

   そう云えば 那覇港の土を踏んだあの興奮は 最初の一歩から始まった・・・・

      新しく輝く12の瞳が加わり 輝ける26の瞳は前進あるのみ、

        これからも 株式会社 I B U K I は輝き続ける集団で有り続けます。

 

 

           

国際通り

 

国際通りの風景

写真のようアジポスターがあちらこちらの壁に貼ってあった。

復帰後の沖縄解放同盟によるシンポジュウム、日本政府による昭和の琉球処分に対する抗議集会・・・・

コザ騒動は知ってはいたが、現地で話を聞くまでは遠い沖縄での米軍に対する一つの抗議集会だと思っていはいたが、本土の新聞と本島の新聞との取り上げかたの違いに驚きを感じた、長崎県佐世保にも米軍基地はあるが、ここ沖縄ではまるで米軍基地の中に沖縄があると言っても過言では無いように感じたが本土の人はどれだけ判っているのか、全く考えてもいない、知ってもいないと思う、  一度沖縄にある米軍基地を本土の各県が持ち回り制にしたらやっと判るかも知れないと思う、コザは米軍の街でMPが交番にいた事に驚いた私の記憶の中では、長崎の街中をジープに乗っているMPを覚えてはいる遠い昔の情景が、今まだ沖縄コザでは毎日見る光景と言われ驚いた、 夜一人で街中を歩いているとパトカー止まり 手招きをしているので側に行ったら、酔っぱらった米兵がいるので宿に帰ったらと言われ、野宿をする場所を探すと言ったら、途端に顔が変わりパトカーに乗せられてコザの外へと連れて行ってくれ、・・・・・・・降りろと云われ降ろされ、  米軍基地のコザを体感してしまった。   

昭和48年 夏那覇コザの街中を米軍が我がもの顔で走っている、勿論 右側通行 何もかもが違っているように見えた、        

もう何処を探しても このような街角はないだろう  

昭和48年 夏の沖縄、

どれだけ沢山の街中を歩いただろうか、もう覚えてはいないが、フイルムを覗けば、ひとコマ ひとコマ ファインダーの中に蘇ってくる、我が青春の1ページ。

遠い記憶をたどり 何時の日か 懐かしい街角で あの笑顔に逢いたい              

 

DSC_0007 (2).jpg先日、治療機器の解体作業を行いました。

やっぱりのこの機器は気を使うとろが多い、ポルトナットは全てインチが使われており、一つ一つのパーツの重たさに驚かされましたが、何事もなく予定より早く解体搬出が出来ましたが、その後が大変でしたベース部のコンクリートが固いこと固いこと参りました。

この高エネルギー電子線治療機器は安定した治療として広く利用されています、

写っている作業員は一人ですが、勿論一人ではとてもとても出来ませんので、他に五人ほど頑張って作業をしてもらいましたよ、ただ機器の状況が分かるようにこの写真を選んだだけです。

後打ちアンカーの研修会先月、㈱ヒルティーにお願いして研修会を行いました、午前中は額に汗して・・・脳みそに汗をかきながらと表現したほうが正確かも知れません、何処にこんな真剣な表情があったのかと驚かせる、真剣な表情で聞き入っていました。   脳みそがパンクしそうな状態をやっと解放されたのもつかの間、コンクリート塊にアンカーを打つ実習、手配していたコンクリート塊が小さすぎて苦労をしている状況がこの写真で判りますか、本当は指導員の熱い視線を感じ過ぎて、普段より上手に打てなかったようですが全員が゛合格点を頂きました。  でも・・・実習と云っても赤ヘルメットと手袋は必要ですよね!!・・・ 失敗 失敗 

アンカー穴を垂直に開けているつもりでも、斜めになっている、  ・・・根性が曲がっているので真っ直ぐなつもりとの声が・・・・・笑い・・・・ 

写真をアップにしたら 真剣な顔がわかりますよ。

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